都民なので、東京都の感染者数をベースにしているのを、まず最初にお断りしておこう。
2022年。年初から始まった第6波は、だいぶ落ちついてきたものの、まだ「収束した」とはいいきれない状況が続いている。
2022年当初の絶望感は酷かった。それまでを振り返ると、2021年8月中旬をピークに、9月下旬頃には新規感染者数が4ケタを切った。今では信じられないが、10月には2桁まで減っていた。確実に「ボーナスステージ」感があった。そう、ボーナスステージだ。あくまで嵐の前の静けさであり、いつかはまた爆発するのだろう、だが、今のうちに、という安堵感と、しかしその一方でいつまでボーナスステージが続くのだろうという猜疑心がない交ぜになっていた状態だった。
幸運な(?)事にボーナスステージは年内一杯続いた。2020-2021年のように、大晦日に初めて4桁を超えるという悪夢めいた年越しですらなかったものの、何ならそれすらもかわいらしく思えるほど、2022年1月の新規感染者数の増加は異常だった。
1月1日(土)が78人、一週間後の8日(土)には1223人。10倍どころではない。「順調」に新規感染者は増え、2月2日(土)には21,110人を記録した。
2021年の夏に4000人、5000人と脅えていたのが何だったのか、と思わされる数値だ。第6波で、ネット上の知人や、リアルの知人でも感染者が増えた。その中には、未だに後遺症に苦しんでる人もいる。
昨夏は外食はもちろん、スーパーにさえろくに行かなかった。緊急事態宣言下での五輪という愚行にうんざりしていた。
が、その頃と同じくらいの感染者数をたたき出している2022年の5月は、3度目のワクチンを3月初めに接種したとはいえ(カウンターの店が多いが)外食もするし、スーパーへも行くようになった。
コロナ後、2年経つ。
俺自身、コロナ前からフリーランスとして自宅兼事務所で仕事をしており、人と接触する機会が極端に少ない生活を長年してきた。それもあり、外出自体がある意味「非日常」だった。人と会ってナンボの接客業の方からすれば、「よくそれで仕事できるね」とか、「パソコンの前で坐ってキーボードをパチパチしてるだけとか、楽でいいね」と嫌味を言われても、「ええ、まあ、そういう仕事なんで」としか返しようがない。「出社」さえ必要がない生活を10年以上続けている身としては、よけい「必要以上に怖がっている」面は否めない。まあ、感染したら仕事が飛ぶ=収入がなくなるので、コロナにかかってる余裕などなく、可能な限り感染したくないというのもある。
しかしそれでも「慣れ」と「うんざり感」、「油断」は否定できない。
今までで一番身近に感染者が出ている。が、「ゆうても大丈夫なんちゃう?」という油断が出てきているのもたしかなのだ。
矛盾した状態だ。コロナ以前と違い、美術館情報もチェックする気さえ起きないし、できるなら外出は最小限にしたい。閉じこもる生活にも、慣れてきた感はある。が、その一方、やはりちょっとした外食なり、出掛けたい気持ちがなくもない。なんなら飲んで騒ぎたい。
外でマスクを外す気はない。しかし、たまに飲み屋で多少騒ぐくらいは許されてもいい気がしてしまう。だが、確実に体力が落ちているのを感じており、「コロナになったら体力負けで死ぬだろう」というやんわりとした諦念もある。
感染したら二週間近くろくに仕事ができない・外出できないのものだが、後遺症という「ハズレくじ」を引きたくないという恐怖心が一番強い。一方、たまに外に出ると、人混みも戻ってきており、コロナ以前の生活もそれなりにできるのではないかという安堵感もある。
この自粛生活に慣れたとはいえ、意識的・無意識的に我慢しているのもたしかだ。いつまで続くのかと、うんざりもしている。
コロナ以前に、自分の中で克服しなければいけない問題もある(というと仰々しいが、単純に仕事上でのスキル的な面だったり、健康維持とか、そういうものだ)。
独立してから、今まで「(いい意味で)先が見えた」ことなんてろくすっぽなかった。が、100年に一度のパンデミックの上に、ウクライナ情勢≒第三次世界大戦すら目測に入ってきてしまっている今、「先が見えない」の意味は、より重くなっている。
コロナが本格的になって2年半くらいなるが、結局「わからない」という微温的な結論しか出せない。ただ、俺は俺の人生を精一杯生き抜くしかない。