Quo Vadisあるいは曖昧な三十路の憂鬱

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4時くらいに起床。寝る前に食べたファミマの太麺冷やし中華のせいか、胃が重い。

昨日お客さんと行ったジャズバーでパット・メセニーのなんちゃらって曲が演奏された(題名は失念)。
最初はおどろおどろしい低音が鳴り響き、十本の指が鍵盤の上を所狭しとけたたましいほどに踊り狂い、展開に次ぐ展開。軽くアルコールが入ったせいもあり、眠くなる。赤ちゃんにヘビーメタルを聞かせると、重低音が母親の胎内にいたときの心拍音に似ているとかで泣き止むそうだが、いわゆるポップスのAメロ、Bメロ、サビ、またAメロという繰り返し要素のない曲だと、そういうのに聞きなれていない人には少々たいkげふんげふん眠くなるのがあるかもしれない。というわけで、まだ起きるには早すぎるのでパット・メセニーでも聞いて寝ようかと思うが、失敗。

パット・メセニーはSUGIZOの『Parallel Side of Soundtrack』てコンピアルバムに入っていたスティーブ・ライヒの「Electric Counterpoint :Fast 」の演奏で知ってたんだけど、未チェック。まだ惰性で契約していたMusic Unlimitedで探す。ちなみに『Parallel Side of Soundtrack』はもの凄く影響受けていて、ライヒもそうだし、ハニン ・エリアス(Atari Teenage Riot)もこのアルバムで知った。
パット・メセニー聞いた流れで、久々に「Electric Counterpoint:Fast」を聞きたくなって、その流れでそのままライヒをあれこれ聞く。

ライヒ聞きながら散歩でもしたろかと思ったけど、ふと一階のweb関係の本棚を整理し、40冊ほど本棚から追い出す。
社員時代に買い込んだ本を会社の棚に置いてて、同僚達にも貸してたりしてたのをふと思い出す。ありがたいことにわりと使ってくれてた。その頃からあれこれweb関係の本は買ってたけど、なんか昔の方が楽しかったんじゃないかと妙に侘しくなる。

単純に昔の自分を美化しているだけかもしれない。
思い出が美しいんじゃなくて、美しい記憶を「思い出」というのだ、そんなことを森博嗣が言っていた気がする。
しかしググったら違った。


…ググれば勘違いもすぐに訂正できてしまうというのも、味気ないというか余韻がなく、どこか殺伐とした雰囲気さえ感じ得ない。

ともあれ、たしかに独立当初は前の会社に間借りしていて、「独立した」と言っても今まで通り出社して仕事をしていた。諸々あって家で仕事をするようにはなったけど、よく同僚らとも飲んでた。20平米ない狭いワンルームで、ベッドの隣がパソコンデスク。「通勤時間:徒歩一歩」という素晴らしい環境で、一日閉じこもってると非常に気が滅入った。ちなみに今は通勤時間は徒歩二十歩程度だ。
独立した同僚が多かったのだが、彼らが一様に鬱気味になるというのは身を以て体感した。仕事の不安定さからだけではない、人と雑談ができず一人きりで黙々と仕事をするというのは、実はかなり精神的にくるのだ。今でこそTwitterやFacebookがあるが、独立当初はとにかく何気ない会話に餓え、2ちゃんのweb制作板にいりびたったり、はてなハイクで「たけさんいつ仕事してんの?」と言われながらも、いちおう仕事はしていた。

単純に年をとったということなのかもしれない。
うまく行かなかったら、30歳くらい迄に再就職すればいいや、とわりと気楽に独立したものの、まさしく30前後で廃業の危機に陥り再就職も考えた。しかしなんとか乗り越え、結局独立7年目を迎えた。
仕事は順調、と言い切るのにはスキル面の弱さだったり、スケジュール的な余裕のなさだったり諸々問題・反省点はあるが、食うには困らない。当面の金策としては税金が頭痛の種で、長期的には老後も心配だが、外食ばかりでも問題ない程度には稼げている。独立一年目の夏に、昨年まで問題なく履けてたスーツのズボンがきつくなったが、今ではよりウェストは厚みを増し、贅肉がぽにょぽにょと鎮座ましましている。小学生の頃から痩せ形で名を馳せていたので、まさかくびれがなくなるとは思いもしなかった。

将来に備えて貯蓄に回すためにもっと売上をアップしたいし、あわよくば法人化して少人数の制作会社に成り上がりたいとも思うが、いずれも具体的な計画があるわけでもなく、目の前の仕事をなんとか対応しながら、web業界の流行廃りの速さにウンザリしつつも、必要なスキルを少しずつ身につけるのに精一杯なのが現状だ。

20代は自分にあう仕事を見つける準備期間と思っていた。独立するとは思っていなかったが何の因果か独立することになり、「web制作」というより、お客さんとやりとりしながらうまく導いて何かを作る、というのはわりと天職なんじゃないかとそこはかとなく思っている。
30代の今を見るに、いい20代を過ごせたと思う。その成果が今だ。今の生活にはわりと満足している。だが、30代はどうなのだろう。良き40代へ向かうための準備期間だが、具体的には何を目標とすべきなのだろう。それさえ掴めていない。いや、うっすらとした欲望はあるが、叶えるためのロードマップは描いていない。まるで夢を見なければ夢に破れることもないと、わかったような口を利いて、薄ら笑いを浮かべながら自分の殻に閉じこもっているようでもある。
だが、フリーランスとして一本立ちする。それはすでに果たせていると言っていいだろう。廃業の危機以降、周囲のおかげでなんやかんやで仕事も途切れずに頂け、5年目くらいから食っていける自信ができた。俺は大丈夫だ、と。もちろん油断はできないんだけど。

よくいえば独立当初の成長のフェーズから、維持のフェーズに入っているとは思う。飛行機出言えば、無事離陸を果たし、目的地へ向かって安定飛行している状態。で、その目的地って?
無理矢理事務所を開いたりして借金を作らなければ、失敗はしない。リスクを負わないことが、緊張感を失わせているといえば、そうだろう。

そうはいいつつも、 仕事だけに打ち込んでいるのは、ある面で非常に楽だ。仕事に淫するのも、ひとつの現実逃避なのだ。人生は仕事だけではない。仕事以外の自己実現ができていないせいで、どうにも不安になってきたのだろうか。軽く鬱気味だといわれれば、否定できない。

珍しく本の処分をしたせいで、センチメンタルになっているのかもしれない。本の整理はいわば知識の棚卸しで、いくらもう読まない・使えなくなった古い技術書とはいえ、本という形あるものを処分するのは身を剥がされるような気になる(基本的に僕は本を処分しない質だ)。子どもの頃から部屋片づけができない質で、散らかっていないと安心できない面があるのは、うっすらと自覚している。モノがないと不安なのだ。そういったモノへの執着心も、よけい妙な不安を増す原因になっているのだろう。

なんかFacebookにちょろっと書こうと思ったら、思ったよりダラダラと文が出てきたので、日記だかなんだかわからんがとりあえず書けるだけ書いてみた。

「われわれはどこから来たのか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか」

ともあれ、今日もうだうだと悩みながらも、仕事をひとつずつ終わらせ、ちびちび勉強していく。まずはそれだけだ。

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