「自分は自分だ」という浮き輪を使って、ソーシャルやweb業界の荒波を乗り越える

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ネットから離れてみるとネットに戻りたくなくなった話 – hatebuman’s diaryを読んで、なんとなく思った事を。別に返答めいたものではないので、話は噛み合ってないかも知れないし、言いたいことの根っこは、以前書いたフリーランスのweb屋のモチベーション、あるいは僕らは何処へ行くのかとわりと同じです。

自慢というよりは悲鳴めいたFacebookのポスト

Facebookはリア充ツールというのは定説だろうが、そこまでの他意はなくて、単純にライフログ的にささやかな日常の記録として使ってる場合も多いだろう。

Twitterではあんまやってないけど、Facebookではわりと「問い合わせきたー! 仕事とれたどー!」的なことを僕はわりと言っている。
自慢というよりは、自分を鼓舞する意図もありつつ、その一方で「僕だって頑張ってるんだ!」と悲鳴のような面も、実は少なからずある。

負け犬の遠吠えと言われればまさにそれで、不安だし怖いから叫ぶ。虚勢を張る。だけど、その恐怖からは逃げずに、ほんの小さな一歩だろうが、立ち向かってるつもりだ。

自分のスキルに満足いっているかといえばそんなことはなく、40代もこのまま続けていけるのかは非常に不安だ。独立して5年目くらいから「なんとか食ってけるんじゃねーの?」という楽観的な自信もついたが、8年目になる今でも、「僕だって仕事が獲れるんだぞ!」という鬱屈した承認欲求がいまだにあるのは否定できない。
おそらくこのコンプレックスめいた情念は、一生消えないだろう。自信がないのに商売すんの?とかそういう対他的なものではなく、あくまで内面的なもので、よくいえば向上心の裏返しだ。
いくら今が100%の自分だろうが、1年後の自分には負ける。というか、負けてなきゃいけない。スキル的な不安があるのは、伸びしろがあるからだ。そう開き直りたい。
そして、開き直るからには、周回遅れだろうが、前に進む意志を持ち続けたい。
その記録を残していく意味でも、勉強になったエントリをツイートしたり、シェアしたりしている。他の誰かの役に立つかも知れないしね。

僕は現代美術家の椿昇の『この世界では「アップロード」(表現)することで初めて人になる』という言葉が凄い好きなんだけど、ネットの大海の中で溺れないためにも、自分がここにいるんだって証明するためにも、せいぜい叫ぶしかない。
Facebookでシェアしたり、Twitterで勉強になったエントリのURLを流したりと足跡を残していれば、一年後に自分が何がわからなかったのかを簡単に振り返ることができる。
そんなことも知らないの?と馬鹿にする人がいようが、その人が今できる・やってることと、自分が今できる・やってることは違う。知らなかったこと=知ったことは恥じる必要はない。

F1とママチャリが同じサーキットを走ってる

ネットで情報へのアクセスが楽になり、さらにSNSで人との繋がりも簡単になった。

技術書を書いてる人なんて雲の上の存在だったけど、今では逆にまわりの人がどんどん本を出すという逆転現象が起きている。そうした人らの日常はもちろん、特にIT・web系は技術的な情報がネット上に豊富だから、フォローしてる人の「いいね」やらシェアやらで、自分が知らない最新技術の情報が流れてくる。
美味そうなモン食ってる写真程度ならいいけど、仕事に関わることだと、知らないことばかりで焦ってしまう時もある。

今ってよくも悪くもフラットになりすぎちゃってて、F1と軽自動車とママチャリが同じサーキットを走ってるよーな状態になってる。そりゃ、F1の人から見れば、外車だって何をちんたら走ってるんだろ?という状態だろうし、ママチャリの人がF1の人を見れば、速すぎて眩暈を覚えてしまう。
でも、周回遅れだからって、焦るのはわかるけど、そこで自分の存在を消したってしょうがない。
歩みをとめたら、溺れてしまう。

とはいえ、たしかに疲れてしまう時もある。
僕は高校の頃ブラスバンド部にいたんだけど、顧問が『休符のは「休んでる」んじゃなくて、「音がないという演奏をしている」状態だ』と言っていたのをよく覚えている。休符は何もしていない状態ではなくて、ちゃんとした演奏としての意味があるし、息継ぎするための休符がなければ息が切れてしまう。いくら歩みをとめたら溺れてしまうといっても、それでは本末転倒だ。

前に進まなければ、溺れてしまう。かといって息継ぎをしなくても溺れてしまう。
どちらにせよどこか息苦しい面があるんだけど、web業界の荒波をうまいこと乗り越えるには、「自分は自分だ」というエクスキューズが、浮き輪としてけっこう有効だったりする。その浮き輪があれば、あんま人を羨まずに済むかも。浮き輪使おうが何使おうが、自分は自分の目的地につければいいんだしね。

なんとなくBUMP OF CHICKENの『グングニル』を置いときますね。

容易く 覚悟の前に立ちはだかりやがって
夢の終わりは 彼が拳を下げた時だけ

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