「変えられてしまった」時代に

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7日に発出された緊急事態宣言が、いよいよ全国に拡大した。まだ割り切れない想いはあるが、「時代が変わってしまった」と観念せざるを得なくなった。

「期間は半年」という話もあったが、誤報だったようだ。しかし半年と長めに言っておいて、短縮する方が精神衛生上いいだろう。いくらでも強制力がある武漢でさえ二ヶ月半掛かったのに、日本の緩い「緊急事態宣言」では、5月6日までのたった一ヶ月で収束しうるとは、とてもではないが思えない。

それでも正直な所、どこかで、淡い希望めいたものを抱いていたのはたしかだ。希望と言うよりも、現実を認めたくなかったのかもしれない。

元々、長らくフリーランスをやっていたので、いつでも「テレワーク」状態である。その点では以前から仕事環境は変わっていない。

とはいえ、ずっと家に引きこもっていられるタチではないので、昼は外食が多い。バイオリンのレッスンもいい気分転換になっていた。夜は家で缶チューハイを飲むことが多いが、たまには角打にも行っていた。

しかし、それももうしづらくなってしまった。

先日、昼間に商店街を通った時、個人経営の飲み屋が焼き鳥を売っていた。「焼き鳥いかがですか、美味しいですよ〜!」ありきたりな言葉のはずが、切迫感のある店員の声が耳に痛かった。お好み焼き屋までテイクアウトを始めていた。テレワークで地元にいる人が多くなったせいか、人通りはむしろ多くなっていたのは皮肉なものだった。
バイオリンのレッスンはskypeになった。聴いてはいないが、おそらく辞めた生徒も多いだろう。

外食は、正直しづらくなった。当然、できないわけではないが、何の保障もないフリーランスなので、下手にコロナに感染して仕事ができなくなると、収入に響く。いくら国が最大100万出すと言っても、いつ給付されるかもわからないし、そもそもその後の仕事がどうなるかわからない。

今の所、コロナの影響は保守案件でコロナ関連の告知が増えたくらいで、直接収入には良くも悪くも影響はしていない。コロナとは関係なく忙しくなっているのは、このご時世、有難い限りだ。

保守契約がいくつかあるので、収入がゼロという月はないが、それでも三ヶ月後はどうなってるかわからない暮らしを十年以上してきた。そういう意味では、個人的には「変わらない」。いつだって先の事はわからない。「なんとかなるだろう」で生きてきた。ただそれも社会が不変である——少なくとも極端に悪くならない、という前提だった。

残念ながら僕らは今、世界史に残る危機の中にいる。いつ自分が死ぬかもわからない静かな戦争のまっただ中に。

「最悪、東日本が壊滅する」とは言われた3.11の時とも違い、東北だけでなく日本中で、それどころか文字どおり世界中で不可視の「敵」が牙を剥いて待っている。あの頃はたしか「経済をまわせ」という言葉が流行ったが、経済のまわしようがない。

2月末の突然の休校要請もあり、3月初めに行く予定だったライブも7月に延期となった。しかしこの調子だと、7月のライブも危ういだろう。エンタメ、飲食、観光、小売、何より教育。あらゆる文化が、コロナにより窮地に追い込まれつつある。

静かな、見えない戦争だ。StayHome、そう、家に居るからよけい「見えない」。しかし僕らが長い冬眠から覚めた時、確実に目に見える形で文化は焼野原と成り果てているだろう。

いや、「見えない」というのは欺瞞だろう。病院は今まさに目も当てられない戦場だ。コロナの影響で、普段の患者にも影響が出ている。想像したくないが、しかし、直視しなければならない。日々、商売を続けているスーパーやコンビニ、ドラッグストアの店員もコロナだけでなく、理不尽な客との戦いが続いている。

人が集まることができない。長距離移動でさえも危うい。それは文化の否定であり、社会の否定だ。ライブにしろ映画といったエンタメでも、食事や美術展、観光などの文化も、リスクになりうる。

マスクをせずに外を歩き、飲み屋で騒ぎ、スポーツを、ライブで歓声を上げる。そんな当たり前のことがまた出来るようになる日は、いつくるのか。どうにもならない閉塞感と鬱屈した思いを抱えながらも、家でできる仕事をしっかりしながら、「変えられてしまった」時代を生き抜くしかない。

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