言い訳ができなくなる時


先日ブツ撮りをする機会があった。

いいタイミングだったので、念願の照明セットまで買って望んだんだけど、撮った写真を整理していて、「こりゃー言い訳ができないな」と痛感した。
というのもブツ撮りなので、タイミングはまったく関係ない。ライティングも、モノのセッティングももちろん自分。いうならば自分で最高の状態を作り出せるわけだ。
それでもたまにピントがあってなかったり、見直すと「もうちょっとこうした方がよかったんじゃ」というのが出てくる。
たとえば散歩中に花の写真を撮る時なら、「風が・・・」とか「撮ろうとしたら曇っちゃって」とか、てきとーな言い訳が出来るわけだ。でもそういう偶然が入る要素がないと、言い訳ができなくなる。

言うまでもなく撮影は一瞬を切り取る作業だ。シャッタースピードで言うなら、1/200ならたった0.005秒の勝負だ。しかしブツ撮りなら一瞬ではなく、ずっと続く今の状態を好みのタイミングで切り取ることができる。
その一枚を選んで撮った全責任が、僕にある。

撮った写真を整理するのは、自分との戦いというか、自分の醜い所を真正面から見つめる作業になる、というと露悪的過ぎるだろうか。もちろん綺麗に撮れてる写真もあり、自己陶酔することもあるんだが(そしてそれが撮影の醍醐味だろう)、カメラの液晶で確認しているはよく見えても、ディスプレイで見ると・・・というのが出てくる。
ブレてたり、構図が悪かったりすると、「もうちょっとしっかり撮っておけば・・・」と後悔するわけだが、自分のいい加減さや執着のなさが透けて見えてくる。どんだけ真摯に被写体に向き合っているか。その一瞬の表情を形に残そうとしているか。

写真じゃなくても、Webデザインでもコーディングでもプログラムでも、「後に残る作品」を振り返ると、大概そんなもんだろう。ああすればよかった、今ならこうできる、etc、etc・・・。一般的にはそれが成長の証だと言われる。
新しい事を覚えるのも大事だが、そういう振り返りも自分の糧になる。ただ、そこで「○○があれば・・」と何かのせいにしててもしょうがない。

たしかに前提条件が必要な時もある。それがあれば簡単になることもある。
でも「今できない」ことを、道具がないとか時間がないとか前提条件のせいにしがちだが、いざ条件が揃うとやっぱりできない。そんなことはありふれてるような気がする。

「結局できないんじゃなくて、逃げ出してるだけでしょ。言い訳ばっかしてるけどさ、できないのが怖いから逃げてるだけで、本当はやる気がないんでしょ。いつまで『いざとなったらできる』フリしてるの?」となんかのセリフでありそうな状態だ。

最高の条件で最高の仕事ができるのは、当たり前だろう。
でも、そんな条件が揃う事なんて、そうそうないわけで。
ただ、最低の条件でも最高の仕事が出来たら、もっと最高なわけで。
最高の条件で最高の仕事をするには、日頃から条件を問わず、とにかく立ち向かっていくしかない。じゃないとイザって時にフルパワーなんて発揮できない。

やらない言い訳より、やって反省をした方がいい。口より手を動かさないと。
やりたいと思う人は1万人いて、やる準備をする人が百人程度。で、実際に最後までやりきるのは10人いない。そんなもんだろう。
なんつーか、毎日がやるかやらないかの勝負すよ、ええ。

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