「普通」に生きる困難さあるいは脆弱な希望について


普通に大学入って、普通に会社入って、普通に結婚して、普通に子ども作って。
何度か転職はあったにしても、普通に定年まで勤めて、普通に退職金貰って、普通に年金生活送って、普通に死ぬ。

高校の頃の僕がうすらぼんやり描いていた未来は、思ったより「普通」ではなかった。

あの頃の僕は、人間関係や恋愛、将来――直近の大学受験はもちろん、就職も――について、体が押しつぶされそうなほどの不安を抱えていた。一浪してなんとか大学には入り込めたが、大学でも、そして当然今も将来については不安ばかりだ。
十代の頃よりは、不安のそらし方を覚えたが、フリーランスの身としては結婚や子育て(というか養育費)、年金(詳細は忘れたがサラリーマンは厚生年金で月20万くらいはもらえるはずだが、国民年金は月たった6万ちょいだ、家賃にもならん)と、とにかく経済面での不安がつきまとう。
幸か不幸かなんとか独立して6年ほど食いっぱぐれることなく生きてきたが、当然今後もやっていけるという保証などはどこにもなく、年齢を重ねれば重ねるほど再就職もしづらくなる。フリーランスだと誤解されがちだが、少なくとも僕はこれといって特化したスキルがあるわけでもなく、ただの器用貧乏で、部下をもった経験もないため、「社員として求められる年相応のスキル」があるかと言われれば、俯いて黙する他ない。

まさかこんなに続くとは思わなかったが、今更「独立」という自分の選択を後悔するつもりはない。「こう生きるしかなかった」というといささか自己陶酔が過ぎるが、後悔なんてネガティブな現実逃避でしかなく、ウジウジと考えるだけ時間の無駄だ。今からどうするか。それの方が本質的な問題であり――結局ウジウジ考えては、こんな文章を書いてみたりしている。

何が「普通」なのか。
冒頭に挙げたような人生?

もちろん人によっては大学に行かずそのまま就職したり、専門へ行くといった進路はあるし、結婚だって子どもだって実は「普通」ではない。
親がいて、子どもがいてと「家族がある」のが「普通」だと思っていた。
小・中学校では、さほど格差のない地域だったのか、僕の知る限り、片親の友達はいなかった。一人だけ母親を病気で亡くした友人がいたが、彼女くらいだったと思う。一人っ子も珍しかった。
高校はさほど偏差値の高い所に行ったわけではないが、クラスメイトはほとんど大学へ行った。大学時代の友人らは、だいたい就職したが、速い奴は2、3年で結婚して、子どもを作った。
結局大学までは、似たような家庭環境の人間としか付き合いがないのだ。狭い世間でしかない。
20代でいろんな人と知りあって、結婚していても子どもがない人や、独身の人、離婚した人が意外といることを初めて知った。僕が思っていた「普通」は、そこまで普通ではなかった。

いちおう断っておくと、別に結婚してないからどうのと人様にいうつもりはない。独身主義者や、セクシャルマイノリティで法律的に「結婚ができない」という人も当然いるだろう。
そう、今セクシャルマイノリティという言葉が出たが、「普通=マジョリティ」であることは、実はただの偶然の産物だ。
マジョリティを気取ってつつがなく普通に生きていけると思ったら、大間違いだ。
親の離婚、自身の離婚、病気や事故、配偶者や子どもとの死別。
日常の掌から零れ落ちるように、不幸はいくらでも転がっている。
不幸とまで言わなくとも、誰しも思い描いたとおりに生きられるわけではないと、大抵の人は20代で痛感するだろう。そして僕は今、「普通」というマジョリティからあぶれている。

人生の半分以上が「失われた20年」に該当する僕は、いったいどんな未来を描けばいいんだろう。
冒頭に上げたのもそうだが、郊外に一戸建ての家を買って、家族とペットとともに幸せな日々を送る。一昔前?二昔前の人生プランなのは分かっている。じゃあ、うだつのあがらないフリーランスが描ける未来とは。

親父が28の時に、僕は産まれた。僕は今年34になるから、親父が34の時には僕は幼稚園に通っていたことになる。愚妹が一人いるので、今の僕が幼稚園の息子と娘を育てている状況だ。
とてもではないが、信じられない。
公務員の親父とフリーランスの僕。時代も環境もまったく違うが、親父に負けてるなと思ってしまう。

さまざまなビジネス系サイトや個人ブログは、スキルを上げろ、生き残れないぞと発破をかける。ニュースも年収300万時代だ年金崩壊だの、中韓の若者の方がハングリーだのなんだのとヤカマシイ。
若者の○○離れ、否、金の若者離れ。もっというなら、希望の若者離れ。
僕らには、金も未来もない。うんざりするくらい、希望がない。
アベノミクスもどうせ富める者を更に富ますだけで、庶民には物価があがるだけだろう。

「専業主婦が一般的だったのは高度経済成長期の数十年、たった1世代でしかないという事実」というコピペがある。その内容の真偽はともかく、「普通の人生」はもう僕らには縁遠いのかも知れない。

コピペ転載『専業主婦が一般的だったのは高度経済成長期の数十年、たった1世代でしかないという事実』 – 脳から逃げない

ワンランク上の、ライバルに差を付ける、一歩先行く。
あるんだかないんだかわからない「差」を強調され、急かされ、僕らはいったい何処へ連れて行かれるのだろう。いや、何処へ行きたいのだろう。
ただでさえ求人率が少ないのに、新卒でさえ外国人採用が増え、でも新卒じゃないとまともな社会人生活は望めないらしい。んなこたぁねべぇと思うのだが、僕は新卒で入ってないから、知らないというか無自覚に体現しているのかもしれない。しかし新卒で入っても腐れブラック企業に潰されて、病んで辞めていく人達もいる。そもそも終身雇用自体が、ウィキペディアによれば

終身雇用と言えるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られており、その労働人口に占める比率は8.8%にすぎない。

そうだから、新卒で終身雇用なんて「普通の人生」自体が誰かの作った幻想だったのかもしれない。

普通に、悪く言えばノンベンたらりと生きていくのは難しい時代なのか。生きる努力ってんだんだろう。普通に仕事して、普通にメシ食って、普通に家族を養って。
普通のサラリーマンも必死こいてプライベートの時間削って勉強してかないと、仕事がなくなる。あ、もちろん英会話は当然ね。なんて世の中が生きやすいのか。否、生きやすくはない。が、そういう世の中になろうとしている。のかもしれない。

高校の頃、嫌いな担任が「人生は一生勉強だ」などと名言を吐きやがって、クソッタレと思ったが、今なら素直に首肯できる。受験勉強なんて今でも糞食らえだが、一生、何かしら勉強は必要だろう。勉強――言葉を換えれば、どうすれば生きやすくなるかの追求。「生きやすさ」というのは、仕事のクオリティアップなんかもだが、人間関係やストレスとの付き合い方、趣味などのプライベートを含めて、だ。
ただ、スキルアップ命!じゃないと置いていかれる、リストラだ、路頭に迷うぞ!なんて世の中は、

息苦しいね。

このエントリは「僕は『普通』になんて生きられないよ」という絶叫なのかもしれない。
あるいは、「変化に対応できないよ」という敗北宣言でもあるのかもしれない。
何がこれからの「普通」なのかを、あまり理解したくない、というのがホンネかもしれない。
たんに「生きづらい時代になったね」というオッサンの愚痴なのかもしれない。

時代のスピード、即ち変化のスピードは、速まってく。歩いていた僕たちは、それにあわせて駆け足にならなくてはいけない。時代は逆走するエスカレーターみたいなものだ。それ以上のスピードで走った者だけが、新しい風景を見られる。ついていけなくなったものは、あっという間に背後に追いやられる。

僕は、僕たちはどんな社会を作りたいんだろう。どんな人生を歩みたいんだろう。どんな「普通」を作りたいんだろう。どうすれば、より多くの人が生きやすい社会ができる?それとも自分だけが助かればいいのか。
今までの「普通」は、おそらく今後は普通でないのを溜息交じりに理解しつつも、僕たちはまだ新しい「普通」を生み出せていない・もしくは認めていない。それが、希望がないということなのだろう。ただ、「これから先の日本に希望なんてないよ」なんてわかったようなセリフにはうんざりしていて、「日本やお前に希望がなかろうと、俺には希望がある」と舌打ちしながら睨み付けたくなる。そう、せいぜい自分の希望を実現するため、俺は足掻くよ。

追記
ぐらいんだぁさんにズバっと言い宛てられてビビった。

Perfumeの『Dream Fighter』。その後の歌詞を。

だけど 普通じゃ まだもの足りないの

このままでいれたら って思う瞬間まで
遠い 遠い 遥か この先まで

最高を求めて 終わりのない旅をするのは
きっと 僕らが 生きている証拠だから

「普通」に生きる困難さあるいは脆弱な希望について” への2件のフィードバック

  1. 地に足つく陸にいるつもりが、時代の荒波に飲まれてるので、溺れないように白鳥みたいにせいぜいバタ足しましょう!

  2. 読んでいて胸が苦しくなった。
    僕はたけさんよりも年上で、スキルも年齢と反比例しているので、ちょっと余計にキツかった。
    でも足掻き続けるのはやめるつもりもないので、一緒に頑張りましょう。

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