不惑逍遥、あるいはフリーランス40歳の憂鬱とゆるやかな希望

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40歳になってしまった。男性の平均寿命は81.09歳なので、ほぼ半分である。35歳になった時も、「人生70歳なら半分まで来てしまった」と痛感し、「40迄にもっとしっかりしよう」とあれやこれや目標を立てた気がするが、のんべんたらりと5年間を過ごしてしまい、見事、実現できていない。一昨年の12月に久々に正社員となったものの、1年せずに体を壊して辞めた。俗に「40歳の壁」という言葉があるが、40手前にして、壁にぶち当たった。

辞めた理由はまあいろいろあったが、最終的には脊椎症だかで、一時間も座っていると首や背中が痛むようになってしまった。酷いときには腕のしびれも出てくる。元々、肩こり腰痛持ちなのだが、その類いの痛みとも違い、マッサージではその日しか痛みは緩和しない。連日、仕事に集中できない程度には痛み、「一生まともに座り仕事が出来なくなるのでは」という恐怖感があった。

さらに7、8月だけで4、5キロ体重が落ちたのもあり、本当に脊椎症だけが原因なのかもわからず不安だった。急激な体重の減少や背中の痛みなどは膵臓癌の症状でもあるようなので、検査を受けるべきか迷った。親類などではないが、膵臓癌で知人を2人ほど亡くしている。俺はまだ元気なので、当然のごとく、そして幸運なことに癌ではなかったようだが。

別件で人生観が変わる(というか「やはりそうだったのか」と再発見する)出来事もあり、社員として働く自信を打ち砕かれた。久々の挫折だ。いや普段から「あれができない、これができない」とわりと挫折しがちではある。とはいえ、(別に大手術をしたわけではないが)40手前で体を壊し1年もせずに社員を辞めたのは、かなりショックが大きい。大袈裟かも知れないが、「社会不適合者」の烙印を押された感さえある。

取引先から社員に拾ってもらうというのは、フリーランスとして、一種の「あがり」だろう。長年フリーランスをやりつつも「普通」に憧れていた。思わぬ形で蜘蛛の糸を掴んだのに、自ら手を放してしまった。登るのはもちろん、ぶら下がってるだけでも、それなりに大変だった。「憧れの普通」が崩れ去ってしまった。

「社員からフリーに戻った」というと、「ずっとフリーやってると、やっぱり社員生活は合わないよね」と安易に言われる。いい会社だったが、やたらと会議が多いのには閉口したし、ディレクターというよりグロースハックより仕事だったので、数字を上げられないどころか、ろくに施策さえ思い浮かばないまま、優秀な人が多い中に在籍するのはしんどかった。

が、一緒に働いたわけでもない他人から、「合う合わない」を言われたくない。たとえそれが、さしたる意味のない挨拶程度の、「その会社はダメだったかもしれないけど、お前にはお前に合う場所があるんだよ」と軽い慰めのセリフだとしても。たしかにもう少し緩い会社なら違っていたかもしれないとは思う。だが、つまらないプライドだ、面倒臭いが、他人からフリーと社員の比較をされたくない、それが本心だ。

元々社員経験は2年もなく、40近くなって10年ぶりに正社員になったかと思えば、1年せずに辞めた人間を雇う酔狂な会社もないだろう。まずしばらく療養して体をなんとかしたかった。辞めることに精一杯で、転職活動をする気はさらさらなかった。普通にまたフリーへ戻るつもりだったので、時間は余っていた。が、前述のように座っているだけで背中が痛み出すため、電車に乗って外出するのさえ億劫だった。当然、映画を観に行くのさえ躊躇われるし(ドラクエは観たが)、まして海外旅行へ行くなど、「気分転換」に遊び回る気力もなかった。

有難いことに辞める前後で、こちらから連絡もしてないのにそれまでのお客さんからお仕事の打診がきており、軽めの仕事だったので、リハビリがてらやっていたが、それでも8時間机に向かえる日はなかった。

それまでもフリーランス生活が長かったので、「不安定な収入」には慣れていたが、それはあくまで「なんやかんやで仕事が来る=仕事が出来る状態」だったからだと思い知った。その時の俺は、仕事がまともにできる状態ではなかった。体調の回復の見込みが見えず、貯金を切り崩す生活は、ただ「金がない」という以上に、かなり精神的にしんどかった。健康の有り難み、「体が資本」という言葉の意味を痛感した。メシ代はあるものの、家賃が払えず廃業寸前まで行ったことがあるが、その時よりもしんどかった。

いくら大きな仕事が来ても、まともに稼働できない状況では納期の保証ができないし、もっといってしまえば、納品できるか俺自身が不安だ。「どーすんだ、俺」と思っても、目の前の小さな案件をこなしつつ、ひたすら療養するしかなかった。

しばらく接骨院に通ったものの、効いてるのか効いていないのかわからず、しかも接骨院の接客態度もよくなかったので、11月頃に怪しげな別の治療室へ変えた。同時期に無理して高いマットレスを買い直したら、改善に向かったのは助かった。

12月に入ってから、仕事も軌道に乗り始め、パソコンに向かわざるを得ない日が続いてき、その頃からようやくまともに仕事ができる体になってきた。痛みがないわけではないが、我慢できる程度のものだ。仕事自体もいろんな方々にお声がけ頂いて、当面3ヶ月くらいはなんとかなりそうである。

誕生月である12月はいろいろ人生について考える時期ではあるのだが、昨年は忙しかったのもあり、年が明けてから不惑の重みについて考えるようになった。
ずっとこのまま変わらずに生きていそうな気がする一方、尾籠な話だが、鼻毛に白髪が交じるようになって久しいし、そこまで目立たないとはいえ、頭頂部も心なしか薄くなってきた。視力も順調に落ちている。DeveloperTooolsの文字が読みづらいのは致命的だし、Googleに殺意さえ抱く。あだしごとはさておき、何も変わっていないようで、徐々に老化は進んでいる。何も変わっていないようで、人生の半分が過ぎてしまったのだ。

俺は目標らしい目標を持たないタイプだ。かつ努力もしない。フリーとして年間・月間の売上目標はざっくりあるが、「今月ヤバいわーあははー」で終わって、特に営業らしい営業をするわけでもない。「そのうち帳尻合うでしょ」で終わりである。月単位での波はあっても、年間の売上はだいたい決まってくる。長年やってきた自信というか、ただの開き直りと懶惰な楽観主義である。

そういう点では、事業会社に入って、Webディレクタとして毎日数字を追っていくのは、多少憧れがあったとはいえ向いていなかったのだろう。しかもいわゆる「キャリア」的なものもどうでもいいと、なんならクソ食らえと思っている。

そりゃまあ、大きな仕事して実績作って「これ俺がやったんだぜ!」とか、「ウン億稼ぎました」「事業を何倍にしました」的なのに憧れはなくもないし、「偉くなっていく」のもやり甲斐があるだろう。実際、辞めてからも各上司が出世しており、羨ましく思う(主に給料面で)。「俺も会社に残ってれば、出世してたんかなぁ」と思うと、後ろ髪を引かれる思いは、ある。いや、あの会社で仕事を続けていける自信がなかったのもあって辞めたんだから、出世できるほど実績作れなかっただろうが。

ただ、フリーの時からそう考えているが、デカい仕事だけが仕事ではないし、やりやすい相手と仕事して、納得のいく料金を頂戴できれば、何でもいい(デカい仕事とをしていない奴の負け惜しみと言わば言うがいい)。

同じ100万の仕事でも、10万の仕事10個と、100万の仕事1個、大変さも必要なスキルも違うだろう。どっちが上でも下でもない。目の前の仕事を一生懸命やれるか否か、それだけだ。

前言を返すようだが、いわゆる「出世」にも興味はない。権限が増えて自分のしたい仕事がしやすくなるのならそれは有難いが、出世のための出世、「偉くなる」のは二次的、三次的な要素でしかない。下請けフリーランスは仕事を大きく廻す権限はないが、それでも仕事を請けるか請けないか、見積や希望のスケジュールまで、自分の希望を元に自分の責任で交渉ができる。なら、フリーランスでいいじゃん。誰かに自慢するために仕事してんじゃねーんだ、俺はおもしれーからwebの仕事フリーでやってんだよ。

結局、無い物ねだりなんだろう。隣の芝は青い。食えてるうちはある程度納得はしつつ、ふとした隙に「これでよかったんだろうか」と迷うんだろう。たぶん、一生。

「漁師とコンサルタント」という話がある。最低限の仕事しかせず、プライベートを充実させている漁師と、もっと利益を上げて巨万の富を得てから、老後、悠々自適な隠居生活を目指せというコンサルタント。でも漁師はその「悠々自適な隠居生活」をすでにしているという話だ。

朝起きて、朝ドラ見つつメシ食って、はてブ見ながらギターやベースの練習して、好きな音楽聴きながら、時には狂ったみたいにブツクサ愚痴や奇声を発しながら、たまにぬこ殿が突然ひざの上に飛び乗ってくるのにビビって、アホほどコーヒー飲んではトイレ行きまくりながら仕事して。調査でまる一日潰したり、必要なら終電気にせず夜中まで仕事したり。メシはチェーン店に美味い個人店もたくさんあるので、好きな店で食べて。一応健康に気を使って、たまに自炊もしてみたり。業界が違うけど、自営業友達から平日にカラオケやら美術展に誘われたら「はいよ」とついて行ったり(いや基本的に平日は仕事したいんだけど)。二日酔いの時は午前中寝てたりして(ナイショだけど!!)、そんな生活で、十分理想的じゃないか。

Web制作は良くも悪くも「趣味」的な面があると思っている。知的労働、もっといってしまえば「ゲーム」として楽しみながら自分の出来る仕事を増やしていければ最高だ。もちろんスキルアップした所で、その案件がくるかどうかはわからない。たとえばAWSにも興味があるが、インフラ関係でいくらの見積もりを出せばいいのか、何をどこまで保証・対応すればいいのかもまだピンとこない。ただ、エンジニアと話をしやすくなるには、そういった知識もあった方がいいだろう。

当面のやりたい事としては、
・WPの知識の整理
・サイト高速化の勉強
・AWSの勉強。このブログをAWS上に移設する
・アクセス解析に基づくサイト改善提案力の強化
・アフィリエイトサイトの構築
・Scssのお勉強
・Processingの勉強
・DTMやマルチエフェクタの勉強
あたりだろうか。

やりたいことをどんどんやっておかないと、いつできなくなるかわからない。「人間、いつ死ぬかわからないじゃん」とはよくいうが、ポックリ死ぬなら別にいいんだが、死に至る迄が問題だ。それまで出来ていたことが出来なくなる、徐々に自由を奪われてゆく、その怖さ。

そもそもフリーランスにまともな老後はないし、今以上に体力も気力も減ってから、どれだけ遊べるのかも定かじゃない。なら今しっかり人生を楽しんだほうがいい。
だらだらと愚痴めいた自己弁護を書き散らかしたが、せめて自分で自分の生き方を認めてあげる所から、人生の後半を始めたい。何者にもなれなかったが、せめて俺になろう。

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